今回のテーマ:握り飯の近道
昔話には人生の教訓、生きるためのヒントが散りばめられています。今回は握り飯の近道というお話をご紹介したいと思います。一緒に内容について考えていきましょう。
学べる教訓
・結果は同じでも、そこに至るまでの過程が大切
お話の内容
何事によらず近道を好む男がいました。ある時、この男は一人旅をしている途中で便意を催しました。
時はまだ十一時過ぎ、男は近道をあれこれ考えていました。
「今一息で宿場まで行けるのに困ったものだ。大便に時間をとられると相当の時間を損することになる。歩きながら用を足す方法はないか」
考えているうちにますます便意を催してきた男は仕方なく、道端の野雪隠へ走り込みました。用を足しながら、さらに男は考えます。
「ここで手間取っていては、だいぶ道が遅れる。そうだ、自分は昼前、次の宿場で昼飯を食うとなると、二重三重の休憩になる。いそうこうしているうちに弁当を食ってしまえば、一挙両得というもの、しごくよい近道じゃ」
男は首から弁当を下して食べ始めました。
そうした時、スズメバチが飛んできて、急所をチクリとしたので、手に乗せていた川包みの飯が、ころりと野壺の中に落ちていきました。
さて、この後男は何をひらめくでしょうか?
男はしばらく惜しそうに下をみていたものの、やがて横手をうち、こう言いました。
「ははあ、これはよほどの近道じゃ」
口の中で嚙み、喉元を過ぎて胃腸を通り、下へおろすものを、口には入れず、手のひら野壺へ落したのは、近道に違いないと思ったのです。
しかし、喉を通さないと、実にはなりません。
解説
皆さんいかがだったでしょうか?
内容が内容だけにあまり進んで読もう、とは正直思えませんでしたが、このお話は最強の近道を思いついた男のお話です。
野壺の意味は、、、各自で検索をしてください。
このお話の教訓は、結果は同じでもそこに至るまでの過程が大切、ということでしょう。
男は近道を極め過ぎて、口に入って自分のエネルギーになる、という過程をすっ飛ばしてしまいました。
過程というものは結果よりも大事なことが多いです。
例えば、テストで100点を取れたとして、カンニングをして取れた場合と、自分で勉強して、きちんと理解をして取った場合では、実につく知識の量は後者の方が多いでしょう。
同じ結果を得ることは、意外とできるものなのかしれません。
毎年のように変わる世界一位、毎年のように受賞者が変わる○○賞、これらは得られている結果自体はそれぞれの人で同じです。
しかしながら、そこに至るまでの過程は誰一人として同じではありません。
結果ばかりを追い求める人は、時には自分だけの過程に目を向けても良いかもしれませんね。
他のお話はこちら
それでは!
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