お話と教訓:酸っぱいブドウ

昔話
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今回のテーマ:酸っぱいブドウ

子供向けの昔話、小さい頃にたくさん読んでいた人もいるのではないでしょうか。子供向けのわかりやすい物語ですが、短い内容に人生の教訓が散りばめられています。今回は酸っぱいブドウというお話をご紹介します。


学べる教訓

・自己正当化
・損切

お話の内容

むかしむかし、一匹の旅をしているきつねがいました。
ある日、食べ物も小川もない野原の一本道をあるいていました。
「お腹がすいたな」

きつねは、ずっと何も食べていませんでした。すると、道の途中にブドウ畑がありました。
きつねは、おなかもすいたし喉もカラカラだったので、ブドウ畑を見つけ嬉しくなり、
「ブドウがあったぞ!おいしそうだな~」
と喜びます。ところが、ぶどうは高い木の上にありました。
きつねが背伸びをしても飛び上がっても、あと少しのところで届きません。

さて、この後キツネはどうするでしょうか?

すっかり疲れてしまったきつねはもう自分のしっぽさえもズッシリと重たくなってしまいました。
目の前のブドウがますます欲しくなりましたが、
「鳥のように空を飛べたらなぁ」
ときつねは嘆きました。
おいしそうなブドウを前に出てくるつばすらありません。
するときつねは、
「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」
そういって去っていきました。

解説

このお話でまず目につくのは人間の自己正当化に関してだと思います。きつねは、どうせあのブドウはまずいだろう、と自分以外のものに理由をつけて自分の正当化をしています。

自分が木の登り方でも覚えていれば食べることはできたのだと思いますが、そういった自分の能力の不足には触れずに、真っ先に自分以外のものに理由をつけています。できれば、どういった準備(能力)があればブドウを取ることができたのか、ということを考えたいところです。

また、このお話のきつねは食べ物にありつけていない中、やっとの思いでブドウを見つけています。そして、何度もブドウを取ろうと努力した結果、くたくたになっています。

私はこのお話にはもう一つ大事な損切、という点があると思います。食べ物がないと死んでしまうわけですから、やっとの思いで見つけたブドウはぜひ食べたいものです。

しかしながら、キツネは自分の能力をわかっておらず、しっぽが重たくなるまで体力を消耗してしまいます。この後のキツネは描かれていませんが、このように体力を消費した状態では次の食料確保も困難になってしまうでしょう。

このお話のきつねに本当に必要だったことは、この損切だったのかなと思います。せっかく見つけたブドウですが、自分の能力的に採ることが不可能だと察することはできたはずですので、ヘトヘトになるまで頑張らずに、まだ体力が残っている間に早々に別の食料を探しに行くべきだったのかなと。皆さんはどのように考えますか?

このほかにもお話は紹介しています。こちらなどもいかがでしょうか。

今回はこんなところで、それでは!

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