お話と教訓:西瓜泥棒

昔話
この記事は約2分で読めます。

今回のテーマ:西瓜泥棒

昔話には人生の教訓が散りばめられています。今回は西瓜泥棒のお話をご紹介し、悪魔の入り口とはどういったものなのかを一生に勉強していきましょう。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ものの見方が変わる座右の寓話 [ 戸田 智弘 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2022/5/2時点)


学べる教訓

・少しだけなら、がきっかけとなる
・踏みとどまる大切さ

お話の内容

ある夏の夜、農家の婦人が幼い子を連れて家へ帰る時、畑に熟した西瓜がたくさん栽培されているのを見ました。月は澄み、まるで昼のようではあったが、人通りのない、夜中の田舎道のこと、婦人はふと良からぬ心を起こしました。『たくさんある西瓜の一つばかりを盗ったとしても分かりはしないだろう』

そう思った婦人は子を見張り番に立たせ、畑の中に入って、一番大きな西瓜に狙いを付けました。しかし、何となく良心がとがめるような心持ちがして、止めておこうかとも思いましたが、次の瞬間には、誰に知れることもないから、と手を伸ばそうとしました。

念のためにと、見張り番をさせている子に声をかけて「誰も見ていないか」と聞いたところ、子供は言いました。

さて、子供は何と言ったでしょうか?

「お母さん、大丈夫だよ。お月様の他は誰も見ていないよ」

この一言に婦人は震え上がるほどに良心の痛みを感じ、恐怖を抱きながら子のそばに駆け寄りました。

 「おお、よう言ってくれた。誰も人は見ていなくても、神様には見られているのだった。あさましい出来心から取り返しのつかない罪を犯すところだったが、お月様が見ているとお前が言ってくれたおかげでこの罪を免れた。お前は天の使いだよ」

そう言って婦人は子供を抱き上げて、接吻した。

解説

皆さん、いかがだったでしょうか?

たくさんあるのだから少しだけなら、と畑の西瓜を盗もうとしますが、子供の一言でギリギリで思い留まるというお話です。

このお話は、悪事はこのようにちょっとだけなら、少しだけなら、という気持ちで始めてしまう、ということを伝えています。皆さんもちょっとだけならいいや、ではなく誰かが見ていると、考えることで踏みとどまるようにしてくださいね。笑

このお話は踏みとどまる大切さも伝えています。人とは良くも悪くも慣れてしまうもので、この婦人も最初は一つだけを狙っていますが、この次はもっとたくさんのものを盗もうとしてしまうでしょう。ギリギリで踏みとどまったため、この婦人は次に悪魔が囁いてもきっと大丈夫でしょう。

他の話はこちら

今回はこんなところで、それでは!

コメント