お話と教訓:百万分の一の命

昔話
この記事は約3分で読めます。

今回のテーマ:百万分の一の命

昔話には教訓が散りばめられています。そんな昔話から百万分の一の命というお話をご紹介したいと思います。一部の命を救うことは偽善なのか、一緒に考えていきましょう。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ものの見方が変わる座右の寓話 [ 戸田 智弘 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2022/5/2時点)


教訓の内容

・一人の力は無力ではなく微力

お話の内容

私の友人がメキシコを訪れた時の話です。

夕暮れ時、人影の途絶えた海岸を歩いていると、遠くのほうに誰かが立っているのに気がつきました。近づいてみると、メキシコ人の男が何かを拾っては海に投げ入れていました。よく見ると、それはヒトデでした。男は、引き潮で波打ち際に取り残されてしまったヒトデを、一つ一つ拾い上げては海に投げ入れていたのです。

どうしてそんなことをしているのだろうかと不思議に思った友人は、男に話しかけました。

「やあ、こんにちわ。さっきから気になっているんだけど、何をしているのか聞いてもいいかね?」

「ヒトデを海に帰してやっているのさ。見ろよ、たくさんのヒトデが波で打ち上げられて、砂浜に取り残されてしまっているだろう。おれがこうやって海に投げてやらなかったら、このままひからびて死んじまうよ」

「そりゃあ、もっともな話だが、この海岸だけでも、何千というヒトデが打ち上げられているじゃないか。それを全部拾って海に帰してやるなんて、どう考えても無理じゃないかな?それに世界中には、こんな海岸が何百もあるんだよ。君の気持はわかるけど、ほんの一握りのヒトデを助けたって、何にもならないと思うがなあ」

さて、この後男は何と答えたでしょうか?

これを聞いた男は白い歯を見せてニッと笑うと、友人の言葉などおかまいなしに、ヒトデを拾い上げて、海に投げ入れ続けたそうです。

「いま海に帰っていったヒトデは心から喜んでいるさ」

そう言うと、また一つヒトデを拾い上げ、海に向かって投げ入れたのでした。

解説

皆さん、いかがだったでしょうか?

友人側は一つの命を救ったとしても、他にも同じような命があるのだから、全体からみると誤差のようではないか、ということを言っています。一方で、メキシコ人は今助けている命を大切にしています。

これは中々に難しい問題を突き付けていると思います。友人側のように何もしないということはある意味すべての命を平等に扱っていると言えます。ただし、救える命をも見捨ています。

メキシコ人側も友人側の言うようにすべてを救えるわけではなく、四六時中同様の作業を行うこともできず、限界もあります。このため、友人側も結局命を見捨てることに変わりはありません。何にもならないと言われてもしょうがありませんが、確かに助かっている命もあります。

私は、このお話が伝えているのは命がどうだ、ということではなく、人一人の力は無力ではなく微力なだけだ、ということなのだと思います。友人側のいうように何もしなければ現状は変わりませんし、これは何百万人いても同じです。

しかし、メキシコ人側が何百人もいた場合、結果として多くの命が救われることになります。メキシコ人側が本当に命を救いたいと思っているのなら、自分以外の協力者を集めて皆で取り組むことが必要だったのではないかと。

本当に打破したい状況が発生した時は、一人で解決しようとするのではなく、周りを頼って力を合わせてみましょうね。

他のお話はこちら

今回はこんなところで、それでは!

コメント